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イギリスBREXITと金融業

イギリスをEU離脱(BREXIT)にもたらしたものは何なのでしょうか。 国民投票の前、EU残留派と離脱派はどのような論点で対決していたのでしょうか。

イギリスがBREXITした理由

2016年、イギリスで保守党のキャメロン首相のもと行われたレファレンダム(国民投票)でイギリス国民は賛成派約52%、反対派約48%という僅差でEU離脱を決定しました。その決定に基づき、イギリスは2020年にEUから離脱しました。

このEU史上初の加盟国の離脱の理由がイギリスで起こった理由には、イギリスの民衆が現行の政治・経済・社会システムに不満を感じていたことが挙げられるでしょう。こうした既存のシステムへの反対の核となっているのは、自分たちが国から退けられていると感じている労働者階級の人々です。彼らは、2008年以降のグローバル金融危機以来、イギリスのみならずEU全体で強まった緊縮財政によって最も痛めつけられた人たちです。

富裕な人々は、それで被害を受けることはなく、その結果、富裕者と貧困者の間に莫大な規模の所得格差が現れました。こうした中で、公共サービスの質が緊縮の名のもとに劣化したこと、かつまた労働者の生活の糧が奪われたことは、民衆の政治家や金融家などに代表されるエリートに対する怒りを一挙に噴出させました。

その際、とくに労働者階級に人々が非難の矛先にしたのは移民労働者でした。かれらは堂々と反移民運動を展開し、東欧から移民労働者が流入し、現地の労働者がつまみ出されていることを批判しました。彼らがそれほどまでに移民に対して憤ったのは、そうした移民が置換労働者として彼らの仕事を奪っていると感じたからでした。

実際に、2016年時点において、イギリスで働くEU国籍の人の数は2007年以来二倍に膨れ上がり、約200万人にも達していました。

移民にとってイギリスが他のEU諸国よりも魅力的に映る理由は2つあります。1つはその低い失業率です。それは5%ほどであり、この値を下回るのはドイツとチェコ共和国だけでした。それゆえ、イギリスで職が見つけやすいのは言うまでもありませんでした。2つ目はその最低賃金の高さです。フルタイムの被雇用者の最低賃金は、2005年1月の段階でEUにおいて3番目に高いものでした。とりわけ25歳以上の人々に関して、それは2番目の高さを誇っており、総じていえば、イギリスにおけるEUからの移民の増加は、イギリスの経済の強さをストレートに反映するものだったと言えます。

特に公共サービスセクターにおいて、数多くの移民は雇われています。教育と国民保健サービスは顕著であり、例えば、看護師の10%強、セカンド・スクールの教員の10%弱がイギリス生まれではありませんでした。しかもこれらのセクターで、スキルを持った移民がやとわれる割合は、需要の大きい大都市でより高くなりました。そうなる理由は簡単で、そうした公共セクターに対して、政府は緊縮政策の下で支出を削減したため、より高い報酬を求める現地のスキル・ワーカーを雇えなかったのです。

イギリスの政治的エリートはそのような労働者の痛みを理解できておらず、それが民衆のイギリスへの怒り、EUへの怒りをつのらせていき、EU離脱という形で具体化しました。

残留派と離脱派の争点

キャメロン首相は2015年の総選挙での大勝利を受け、公約通りにイギリスがEUに残留するか同課に関するレファレンダムを2016年6月に実施することを決定しました。そして、イギリスではレファレンダムに向けて、残留派と離脱派が半年近くに渡ってキャンペーンを行い、有権者に各々の主張点を訴えました。その残留派と離脱派のキャンペーンで唱えられた諸論点は主に以下の5つでした。それは欧州問題、経済問題、ビジネス問題、政治問題、並びに移民問題です。

残留派が残留を声高に叫ぶ要因は、主に経済問題に関するもので、反対に、離脱派が離脱を主張する主な根拠は、移民問題に関するものでした。

イギリスの労働者(UnsplashClem Onojeghuoが撮影した写真)

移民問題

移民問題はイギリスのレファレンダム・キャンペーンで論争の中核となるものでした。イギリスの人々は毎年増加する膨大な移民の流入が、イギリスの公共サービスを圧迫し、イギリス人から職を奪っていると感じていました。政府の長年の移民をコントロールしようとする動きは失敗に終わっており、イギリスの人々の移民に対する不信感や不満は高まっていました。それゆえ、離脱派キャンペーンを行う人々の多くは、唯一EU離脱が、イギリスの国境をコントロールして移民を防ぐことができると唱えました。

それに対して、残留派は、イギリスの労働市場はフレキシブルなため、仮に移民労働者によってイギリス本国人が職を奪われたとしても、それらの人々は他の仕事先を簡単に見つけることができると主張しました。

欧州問題

両派のイギリスと欧州との関係に関する認識は異なるものでした。今日、はっきり言って欧州は、経済的にも社会的にも、そして政治的にも危機的状況にあります。ユーロ危機も当然に過ぎ去っていません。それにも関らず、親EU派と反EU派の議論は、実は1990年代以来、ほとんど変わっていません。すなわち、親EU派が欧州単一市場へのメリットを強調する一方で、反EU派は、欧州が連邦国家に向かっていることを唱え、それに対する警戒感を表していました。

離脱派、イギリスは一人でもやっていけるという自信をのぞかせ、EUよりも「五つの眼」、すなわちイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、並びにニュージーランドとの関係を重視しています。これに対して残留派は、欧州におけるイギリスのステータスだけを問題にし、その向上を訴えました。

経済問題

残留と離脱それぞれのケースによってイギリス経済にどれくらいの効果が及ぶかということも議論されました。残留派はEU加入の経済メリットを認識した上で、離脱のマイナス効果を強調しました。これに対して離脱派は、離脱の経済メリットをそれほど明確には唱えず、むしろかれらは離脱後もイギリス経済は変わらないとする、どちらかといえば消極的な立場を表しました。残留派は域内5億人の単一市場の外に出ることはデメリットが大きいと主張する一方で、離脱派は、EUの外からでも、その5億人の単一市場にアクセスできると主張しました。

ビジネス問題

また、企業レベルでの問題も議論されました。イギリスがEUに入ってることによって、イギリスの企業はどのような影響を受けてきたのでしょうか。かれらが、イギリスのEU加盟以来、欧州大陸から一層の競争圧力を受けてきたことは間違いありません。イギリス企業はこれまで、そうした競争に打ち勝つために闘ってきましたが、そのような競争の激化が、かれらに功を奏したとは必ずしも言えません。

EU域内に入ることの競争がイギリス企業にとって利害のどちらをもたらしたかは部分によって異なります。例えば、イギリスの製造業は競争に弱く、競争に敗退する企業も存在しました。

それよりも大きな問題は金融業にありました。ロンドンのシティはこれまで欧州最大の金融街として機能し、海外の資本も欧州へのアクセスを求めて、シティに拠点を設置してきました。もし、イギリスがEUを抜けることを決定すれば、そうした海外の金融機関は欧州大陸へのパスを失うかもしれないことを懸念して、シティから拠点を移動させるかもしれないということが議論されました。

政治主権

イギリスの欧州統合に関する議論の中で、常に非常に神経を尖らせてきたテーマは国家主権でした。それゆえ離脱派のキャンペーンは、「国家主権によるコントロールを取り戻そう」という言葉を第一のスローガンとして掲げていました。このスローガンに対して、残留派も鋭く反応し、新たに国家主権の法制を設けることを主張しました。

BREXIT後の金融業への影響

ヨーロッパ最大の金融街であったロンドンのシティは今も巨大だが、イギリスがEUから抜けたことによってその地位は損なわれつつあります。イギリスのEU離脱でロンドンから奪われた特権の分け前にEUの主要都市があずかり、より細分化された状況が生まれました。さまざまなバンキング業務はパリで行われ、株式取引はオランダが中心となり、企業弁護士や会計士は規制監督当局のお膝元フランクフルトで、詳細の入念な調査を行います。

参考文献

この記事は主に以下の文献をもとにして書かれました。

『BREXIT 「民衆の反逆」から見る英国のEU離脱 ー緊縮政策・移民問題・欧州危機』 尾上修悟著